2009年06月16日

ジョージさん

今年2009年は、僕が経営する会社【ピュアカナダ留学センター】の10年目になる年です。


1999年9月9日9時9分9秒


これ、嘘のような本当の【会社をスタートした時間】です。



10年という時間を振り返ってみると


確かに大変だった事も思い浮かびます。少し・・・



苦い思い出も出てきます。少し・・・





でも、そんな事より100倍も1000倍もたくさんの出会いに恵まれたことで頭がいっぱいになります。





そんなたくさんの出会いの中でも、決して忘れられないのが


ジョージさん


との出会い。





ジョージさんって誰やねん??


当然、この文章を読んでいる全員が思う事だと思います。




僕は、26歳で自分の会社を作る前、1年間だけドッグフードの会社でサラリーマンをしていました。


その時期に別のペットフード関連会社で働いていた4〜5歳のがジョージさん。何度か仕事先で顔を合わせるだけの、【他社の人】でした。




ジョージさんはとても気さくな人で、社会人1年目の僕にとても優しく、いろいろな事を教えてくれました。




ドッグフードの営業をしていた頃、僕は24歳。


右も左も分からない当時の僕にとって、辛い日々だと感じていました。(今思えば、僕がただ甘ちゃんだっただけですが)


でもそんな中で、ジョージさんという先輩と知り合えたことは、あれから10年以上が経過した今思っても、【とても大切な財産】です。





僕は会社に

【自分で会社を作りたいから辞める】

と辞表を出しました。当時の部長達は、

【お前、逃げてるんちゃうか?】

と言われました。

ドッグフードの営業として、成績が【社内で最下位】に限りなく近い劣等社員だった僕の姿は、上司から見ると、


ただ会社から逃げ出したいだけの若僧


に映っていたことでしょう。





そんな当時の僕を応援してくれた数少ない一人が、ジョージさんでした。





1999年9月9日9時9分9秒の創業。


そこから、僕達は【超貧乏生活】がスタートしました。

当時、1日夫婦500円で、テレビもない環境で生活していました。

それでも、自分が感じた

【カナダ留学って、人生を変えられるきっかけになれる】

【視野が広がるって、人生が広がる】

【自分の可能性を狭めているのは、自分自身】


そういう殻を破るチャンスを提供したい。

【カナダ留学】という形のないものを通して、若い人達に大きなチャンスを提供したい。

熱い想いだけでした。





駅でビラを配り、


1日中歩き回り、


またどこかの大学の近くでビラを配り、


でも先の見えないトンネルに迷い込んだような、そんな毎日でした。






僕は、ビラを配りに行った先の公衆電話から、事務所に電話で連絡を入れます。


ドンドン公衆電話が減っていってしまい、公衆電話を探すのに苦労しました。


それでも【収入がゼロ】だから、やっぱり公衆電話が唯一の手段でした。






僕達の姿を見て

【じゅんじ、お前、ケータイくらい持たんと、仕事にならんやろ】

とジョージさん。

【いや〜、今は持てないっす。カツカツなんっすよ】

と僕。

【お前、どうやって仕事してんねん】

とジョージさん。

【公衆電話、探して歩いてます・・・アハハ】

と僕。

【なら、俺が借りたるわ。】


【なら、俺が借りたるわ。】

【なら、俺が借りたるわ。】

【なら、俺が借りたるわ。】

【なら、俺が借りたるわ。】




【ナラ、オレガカリタルワ・・・・・・・・・・】





【えっ・・・】




固まる僕に、ジョージさんは続けました。


【俺が払ったるから、それ使ったらええやん】

【絶対、ケータイはいるで】

【払えるようになったら、払ったらええやん】






【えっ・・・】





耳を疑いました。

申し訳なさ過ぎて、何度か断りました。

でもジョージさんは、

【ええねん】

の一言で、僕達に救いの手を差し伸べてくれました。







約2年間、僕はジョージさんに甘えたまま、
結果の出せない日々を悪戦苦闘しました。
2年目のある日、
【ジョージさん、ほんま、ありがとうございます。払える目処が付きそうです】
ジョージさんは喜んでくれました。






たくさん話す人じゃない。

何か笑わせるような感じの人じゃない。

でも情熱が内側からグツグツと煮えたぎってるような、そんなジョージさん。

当時、僕が26歳だったから、ジョージさんは31〜32歳の頃です。

37歳になる今の僕、まだ当時のジョージさんの足もとにも及びません。





あの時のジョージさんの優しさがなければ、

情熱を持って【カナダ留学の素晴らしさ】を伝えてきたこの10年はなかったかもしれません。




ジョージさんと出会えてなかったら、

【ジョージさんに教えてもらったたくさんのこと】
を知らないまま、37歳を迎えていた事になります。





僕は、この10年間でたくさんの素晴らしい出会いに恵まれてきました。
たくさんの出会いは、ジョージさんの優しさがあったからこそ、10年続いてきたものだと、このブログを書きながら、改めて感じました。





ジョージさん、ありがとう。






追伸・・・
先日、超久しぶりにジョージさんに会いました。
ジョージさんは、奥さんと、初めて【カナダ・バンクーバー】に行ってきたそうです。

【いや〜、じゅんじ、バンクーバー、よかったで!!はまるわ!】

僕が人生の転機を迎えたカナダ・バンクーバーという街。

10年が経過した今年、

ジョージさんと奥さんがバンクーバーを訪れ、

気に入ってくれて、

なんか、涙出そうでした。
posted by Junji at 22:25| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 学んだこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

最後まで・・・

僕は朝5時半に車に乗り込んだ。

大阪は曇り。
予報では大雨になっていたけれど、
自称”晴れ男”の僕は、
【よし、雨は降らんな!】と確信し、
意気揚々と奥琵琶湖へ出発。


京都を越える頃にはフロントガラスに水滴が落ちてきて、
知らぬ間にザーザー降り・・・
この日は天気予報に軍配でした・・・


さて奥琵琶湖まで2時間半のドライブの目的は、
15キロマラソンへの出場でした。


高校生の頃、マラソン大会を走って以来、
20年以上も長距離走をしていない。
しかも仕事の合間をぬって練習したのは3キロ走。(1度だけ5キロに挑戦しましたが、歩いてしまった・・・)


一緒に走る仲間は、僕を入れて8名。
仕事を一緒にさせていただいている”とある大学関係者”から誘っていただき、大学関係者4名、そのお友達3名、そして僕。
41歳の大学課長と僕を除き全員が若い女性。
5名は初対面だったので、それぞれと簡単な挨拶。
【かっちょわりーところは見せられない・・・】
と内心で決意。。。。



この大会は、【1.5キロ】、【5キロ】、そして【15キロ】の3つの選択肢があり、
僕達は全員15キロに挑戦することになっていました。

僕、マラソン大会をなめてました・・・

僕が高速のインターを降りたとき、車が全然いなくて・・・【マラソン大会、ひょっとして10人くらいだったりして!!笑】なんて思ってました。
大会の行われた西浅井町(にしあざいと読みます)に、なんと15キロ挑戦の人だけで1500人を越えるエントリー。もう人人人・・・
この日が【西浅井町の人口が最も増える日】なんじゃないかと思えるほど、人がどこからともなく集まってきました。



あいにく、雨はやむどころか激しさを増し、スタートが予定より遅れるハプニングもありましたが、さあ、満を持してスタートラインに整列。
一般道を【車の通行禁止】にし、僕達の専用道路が目の前に広がっています。
よーーーーーーい、スタート!!!



1500人以上の人達が、前のほうから順番に走り出しました。



さて僕がこの件をブログに書こうと思ったのは、
僕の走りについてなんぞではありません。。。
結論から言いますと、僕の走りはへちょへちょ・・・
若くて体が重そうな若い姉ちゃんに抜かれ、
ゼーゼー息があらいじいちゃんに抜かれ、
見るからに勝てそうな60代前後らしきおばちゃんに抜かれ、
5キロを過ぎた頃からは【太もも】が異常な重さにに代わり、
何度も何度も心が折れそうになりました。
それでも
ルートの途中、大雨の中
【がんばってくださーーい】と笑顔で声をかけてくれる中学生や高校生の女の子の声援。
そして沿道に出て声をかけてくれる地元の人の声。
本当、背中を押してくれました。
この声援もあり、何とかギリギリ完走致しました。


41歳課長はバリバリのスポーツマンで、軽々と走りぬけ、200位台。
僕は8人の中では次点の600位台(情けない・・・)
そして次々と仲間達がゴールし、完走を喜びあいました。
大雨の中、
【自分の足じゃないみたいやな〜】
【乳酸がたまってんねん】
【ぎゃはは〜】
自分との戦い、今の自分での限界に近い走りを、お互いがたたえあいました。



この大会、15キロは、1時間50分以内にゴールできなければ、最後尾の車に乗って、戻ってくることになっていました。
8人中、7人がなんとかゴールする中、一番背の小さい”山ちゃん”の姿が見えません。
彼女、痛めた膝を抱えながらの出走でした。
1時間50分を越え、やはり遠く見渡せるコースには、残念ながら山ちゃんの姿は見えません。
親友の”あだっちゃん”はすごく心配そう。


そうこうしているうちに、時間内で走りきれなかった人達を乗せた車が到着・・・・
【山ちゃん、残念、お疲れ、よく頑張った】
そんな気持ちを持ちながら、到着した車の中の一人ひとりの顔を確認するあだっちゃん。
【あれ・・・いない・・・】
山ちゃんがいません・・・


あだっちゃんは、すっごく不安そうな表情となり、雨の中、山ちゃんを探し続けました。
が、山ちゃんの姿はどこにもありませんでした。


どのくらい時間が経過したでしょう。
あだっちゃん、41歳課長、そして僕の3人が、
山ちゃんを探し、あちこちに目をこらしていました。
既に1時間50分を越え、通行止めとなっていた一般道を、
ゆ〜〜〜〜〜〜っくり進む黄色い車が一台、すっごく遠くに見えたのを、あだっちゃんは見逃しませんでした。
【あ、山ちゃんやっ】
ゆ〜〜〜〜〜〜っくり進む車の前で、山ちゃんは、なんと完走を目指し、足を引きずり、まだ挑戦していました。
豆粒ほどの大きさにしか見えない遠くで、
フラフラしている山ちゃんの姿を見て、
自然と3人の足は山ちゃんの方に駆け出していました。
いや・・・・
正確には、41歳課長はダッシュ。
あだっちゃんは小走り。
僕は走ることができず、歩き。。。(情けない・・・)


大雨ではっきり分からないけど、最後にたどり着いた僕の目には、山ちゃんは泣いているように見えました。
41歳課長は彼女の頑張りを励まし、
あだっちゃんは山ちゃんの体を心配し、
僕は黙って見守りました。


4人と、黄色い車は、ゆっくりゆっくりと、でも確実にゴールに近づきました。
1時間50分を越え、1500名を越える参加者の最後のゴールを山ちゃんが切りました。
なんと、ゴール付近にいた参加者、ボランティアの人達、大会関係者の全員からの、拍手の雨が降り注ぎ、山ちゃん、無事完走!!
山ちゃんは【はずかしーー】と言いました。


その後の41歳課長の言葉が、的を射ていました。
ええもん、もろたなっ!


本当、ええもんをもらった気持ちでいっぱいでした。
山ちゃんの【最後まで諦めない気持ち】は、やっぱりジーーンと来ました。
そして1時間50分を越えても、【走りたい、最後まで自分の足で】という山ちゃんの気持ちを汲んでくれた黄色い車のドライバーさんや西浅井町の皆さんの気持ちにもジーーン。
親友を最後まで気遣ったあだっちゃんと、一番に駆け寄って励ました課長の姿にもジーーン。


形はないけれど、ええもんを分けてもらいました。



僕はと言うと・・・・
このマラソン大会をきっかけに、
41歳課長という超巨大な目標を見つけ、
5人の新しい素敵な出会いをいただき、
自分の現時点での限界への挑戦ができ、
同時に自分のふがいなさを知り、
感動と発見の多い時間となりました。


誘っていただいて、心から感謝です。
やっぱり、”人”やな〜〜

(写真は1枚もありません。。。。情けない・・・笑)
posted by Junji at 10:01| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 学んだこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月22日

【ユウキ】が【ユウキ】に【ユウキ】を与えている話


夜9時前、会社のTELが【プルルルル】
番号からは、相手が誰か分からないけど、いつものように妻が受話器を取り、「もしもし・・・」と話す声が聞えました。

30秒ほど経過しました。

妻は、息を弾ませながら僕に駆け寄り、【ユウキ君のドラマを観て、病気と闘っているっていう男の子から電話】と、受話器を差し出しました。


「もしもし」


いざ話し始めてみると、電話の主が誰なのか、次第に分かってきました。
正真正銘、初めて話す人でしたが、つまり、彼がどういう存在の人なのかが徐々に分かりました。


電話の主は千葉在住の14歳の男の子。
熱心で、少し緊張していて、何かを伝えたいという気持ちが伝わってきました。


ドラマや本で描かれた主人公・三田雄基(ユウキ)は、僕の弟のような存在。その雄基は2001年12月3日、難病と闘い、他界しました。


all-yuki-book-small.jpg【ドラマや本】
世界で過去にたった7例しか報告されていない難病と真正面から闘い続けた雄基の姿が、岸川悦子さんという絵本作家さんの目に留まり、描かれた実話です。
その作品が、日本テレビの目に留まり、描かれたのが24時間テレビ内のスペシャルドラマとして、4年前に放映された【ユウキ】でした。



電話の主の声は少し緊張気味で【自分が何者なのか】を、僕に伝えるのに必死でした。
電話の主は、僕に次のように話してくれました。
【僕は雄基さんと同じように病気を持っていて、でも負けたくないんです。】
【小学校のときに発症して、両親がすっごく悲しんで・・・】
【すぐに死ぬんじゃないかと思って、僕、怖くて・・・】
【雄基さんのドラマを観て、僕も闘おうって決めました】
【雄基さんは、どんな風に病気と闘っていたんですか?】



電話の主は、たくさんのことを話してくれました。
僕も聞かれたことに素直に答えました。
雄基が当時置かれた環境や、どのような言葉を発していたのか。
雄基がどのように病気に立ち向かっていたのか。


僕は電話の主に言いました。
【あなたが、見ず知らずの僕に電話をすることは、とても勇気が必要だったでしょう。電話をくれてありがとう】
すると電話の主は言いました。
【様々なホームページを見て、じゅんじさんのページを見つけました。雄基さんの生き方について聞きたくて、無我夢中でした。雄基さん、すごいと思うんです。僕も病気になんて負けません。】


それはほんの少しの時間だけの電話線を通しての会話でした。
僕は背中にゾクゾクして、とても優しくて、それでいて暖かいものを感じました。
既に亡くなってしまった友人が、遠く離れた千葉の少年を勇気付け、前進する力を与えていることを感じました。


【ユウキ】という本が世に出る前、雄基のご家族と少し話しました。
大切な人の死を世間一般の人に伝えるのは辛い。
でも次代の子供達に、少しでも【命の大切さを分かってもらえるなら】と言って、ご家族は本の出版に協力されました。


受話器の向こうには、そのドラマを通して、自分の病気と闘うことを誓った青年が確かに存在しています。4年を経て、こうして一人の少年の力になっていることに、偶然ではない何かを感じた気がしました。


僕は電話の主と、電話を切る前に尋ねました。
【あなたの名前をぜひ聞かせて下さい。書き留めておきたいので】
電話の主は答えました。
【僕の名前は、ユウキです】
【祐樹と書きます】


亡くなって8年が経過した今でも、確かに僕達の大切な友人は、大きな役割を果たしていました。
ユウキ(雄基)は、ユウキ(祐樹)に、ユウキ(勇気)を与えていました。



涙が出そうでした。



今、僕達は、健康に日々を過ごせることを、まるで当り前のように感じてしまっているように思います。
ご飯を食べれること。
友達や家族と時間を過ごせること。
夢に向かって努力できること。
笑えること。
悩めること。
空気が吸えること。
僕達が日々感じていることは、とても幸せなことなんだな〜。

日々の暮らしにありがとう。
周りの仲間にありがとう。
そして
家族にありがとう。


大切なものを思いださせてもらった電話でした。
posted by Junji at 22:50| 大阪 ☔| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

はじめまして・・・

このブログスペースを作ったのは約2年前。
自分で作れないから、僕のパートナーであるカナダ在住のTomomiに開設してもらったこのブログスペース。

2年間、1度も記載することが無かったこのブログ・・・
お客様から「小谷さん、書かないんっすか?」と言われ続けたこのブログ・・・
友達から「やめちまえ」と言われたこのブログ・・・
いつも心のどこかにあったけど、無視してたこのブログ・・・
書きたいことが山ほどあるのに、怠けてたこのブログ・・・


とうとう重い腰を「うりゃーー」と持ち上げ、今後、できる限り書いていきたい、そして僕という未熟人間が、感じたこと、日々学んだこと、心が震えたことを共有していきたいと思います。


このブログ内では、自分自身のことは、「僕」と書かせていただきます。「私」っていうタイプの人間でもないし、「俺」では読者の耳心地が悪いと思うので。


本日、本格的に【ゼロスタート】ブログを開店致します(宣言!!)
posted by Junji at 17:20| 大阪 ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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