2009年10月20日

松岡君

先日、




以前の留学生の松岡君が遊びに来てくれました。




しまった〜〜〜〜




松岡君の写真、
撮り忘れた・・・・(涙)





彼とは、以前からいろいろな話をしてきました。






彼は1年間の語学留学で、






TOEIC365点  →  885点





という【スーパー上達】をした青年です。






これ、すごくないですか!!






学生を終え、
社会人として旅立った彼は、
今、少し悩みを抱えています。





おそらく、誰だって壁にぶつかるだろうと思います。






どんなにすごい人達だって、常に壁にぶつかってると思います。






彼も例外なく、壁にぶつかっているようでした。






でもね。
彼は、
前向きでした。






【これやーー】




って感じるものが決まったとき、





自分はやれると思います。






とのこと。






読者によっては
【何や、その根拠の無い自信は・・・】
と言われてしまうかもしれません。






確かに根拠はありません。





でも、



【TOEICのスコア、Aランク取るぞ】



と心に決めた時、
ものすごい勢いで留学し、Aランク(860点以上)をたたき出した、
目指す結果を、
実際に出した、
これが自信になっているのだと感じました。





留学って、
英語力を身につけるっていう【大目標】もあるけれど、





英語力だけじゃない。
いや、英語力なんかより、もっともっと大切な、





人間力っていうか、





生きていく力、人間の腹の底にある力





そういうのを磨く時間なんだと思うのです。






英語力を身につけた松岡君は、






それ以上に【人間力、生きる力】を身につけているように感じました。






今、目の前にある壁を、
彼が今後、どうやって乗り越えていくか、
これからもKeep in Touchで行きたいと思います。






松岡君の【事務所訪問時の写真】を撮り忘れたんで、
留学中の彼の写真を、代わりに掲載しておきます。


クラスメート達と
2009.10.20松岡5.jpg

ファミリーと
2009.10.20松岡1.jpg


悪友達(笑)と、その1
2009.10.20松岡2.jpg


悪友達と、その2
2009.10.20松岡3.jpg


オーロラ観たぜ!
2009.10.20松岡4.jpg




きっと、カナダにいた時だって、壁はあった。
でも、
乗り越えてきた。






今の自分なら、きっと乗り越えられる。






自分を信じることが、
ひょっとして【第一歩目】なのかもな〜
posted by Junji at 15:40| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 学んだこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

看護師の卵達

IMGP0756.jpg




2009年9月17日




僕はこの日、看護師の卵達と触れ合い、




多くを学ばせていただきました。




僕が訪問したのは京都府舞鶴市にある日星高校の看護科4年生のクラス。




僕は1年に1度、この学校で、




【人間関係論】




という授業をさせていただいています。




僕にいつもお声掛けくださるのは、水嶋校長先生。




実は彼は、僕の妹の小学校の担任の先生。
つまり、僕とは直接の関係は存在していませんでした。




しかし、果てしなく様々な偶然を通りぬけ、
僕は水嶋先生と出会い、
こうして看護師の卵達と毎年1回、触れ合える時間を
持たせていただいています。




僕は、【看護】や【医療】の知識はゼロ。




毎日必死に勉強している生徒さん達に、
僕が伝えられるのは、【今まで僕が歩み、体験してきたこと】だけです。




この日、26人の女の子と、1人の男の子に、
僕が大切にしてきたバトンを渡してきました。




生徒さん達は、
こんな僕の話に、とても熱心に耳を傾けくれました。




僕の目をじっと見つめてくれました。




僕は、教壇という場所から、




一人で27人の若者に向って、【何かを伝えよう】としました。



IMGP0738.jpg

IMGP0746.jpg




授業を終えた今、




若者達から、その空間を通して、逆にたくさんのことを学ばせていただいた気持ちでいっぱいです。




僕はこの日、多くを学びました。




その中のほんの一部をご紹介したいと思います。




■看護師の卵達って、本当に素晴らしい

今、看護師を目指している生徒さん達は、
18歳〜19歳にして
なんと、週2回平均で、毎週毎週テストを受け、
必死に看護師を目指しておられるそうです。

若い時期、
遊びたいことだってたくさんあるだろうけど、
将来に向って頑張ってる若者は、
アラフォーと呼ばれる年齢になってきた僕の目に、
キラキラでした!!


■先生って、本当に素晴らしい!!

僕達は、
子供の頃から、
たくさんの先生に教わってきました。

あの頃の僕の目には、
先生は完璧な存在に見えて、
逆に遠くに見えていたことだって
あったように思います。

でも、
先生方は、毎日必死で授業の準備をし、
生徒の将来を考え、
困ったことに対応し、
日々、たゆまぬ努力をされていることを、
やっと大人になって、知ることが出来ました。

先生だって人間。
人としての努力で、
生徒達の模範となったり、
友達のような身近な存在になったり、
時に厳しくなったり・・・

本当に【ありがとうございます】っていう気持ちでいっぱいです!


■自分の目指す未来に向うって、素晴らしい!

看護科は、
15歳、つまり高校に入学する時点で、
【将来、看護師を目指します】
と言う子達の集まり。

つまり、15歳のときに
【未来を描いた子達】と言うわけです。
すごいっ!!!!

僕が15歳の頃、何をしてただろう?
将来のこと、
考えたことがあっただろうか?
自分がなりたいものって、
見えたことがあっただろうか?


看護師の勉強があまりに大変で、
時に【なぜ看護師になりたいなんて思ったんだろう】と、
迷うことだってあるそうです。

そりゃそうだよね。
勉強は大変だし、
苦しく感じることだってあるだろうし、

でも、僕が授業をさせてもらったときの、
皆の笑顔は、超最高でした!


IMGP0756-1.jpg


どうか、
素敵な看護師になって、
そして多くの患者さんに

【素敵な笑顔】

を差し上げてね。


そして患者さんの

【素敵な笑顔】

を引き出してあげてね。




君たちなら、きっとできる!





そう思えました。





僕がじっさまになったら、





皆のうちの誰かが、僕のお世話をしてくれたら、めちゃうれしいな〜






お声をかけてくださって、貴重な時間を頂いた水嶋校長。
授業のサポートをしてくださった江上先生。
そして
僕の下手な授業に一生懸命耳を傾けてくれた生徒のみんな。




本当にありがとうございました!

posted by Junji at 22:50| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | 学んだこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

1999年9月9日9時9分9秒からの10年

今日は9月11日。



8年前、
世界同時多発テロがあった、
世界中の人々が忘れられない日。




2日前の2009年9月9日は、
僕達にとって忘れられない1日になりました。




1999年9月9日9時9分9秒
当時、僕は26歳。
ピュアカナダはスタートしました。
あの日、僕は9時9分9秒きっかりに、
妻と2人だけの事務所でピュアカナダのスタートを宣言し、
最初の営業活動であるビラ配りに、駅へ走っていきました。




9時9分を少し過ぎた頃、
妻のいるオフィスには、
とてもかわいい観葉植物が届きました。
友人達が、【事務所に】と、
9月9日9時9分に合せて、プレゼントしてくれました。




あれから10年。





僕達は当然のことながら36才になりました。






たくさんの出来事がありました。






多くの人から
【大変だったでしょ】
と声をかけていただきました。






でも、不思議と【大変だった記憶】がほとんどありません。





楽しかったことや、
素敵な出会いや、
大声を出して喜んだことや、
学んだことなどなど・・・






思い出されるのは、素晴らしい10年であった記憶ばかり。







10年前のあの日、
僕達は、今の自分達をこれっぽっちも想像で来ていませんでした。






弊社は今まで10年間、本当に素敵なお客様に恵まれてきました。
プライベートでは素敵で尊敬できる友人に恵まれてきました。
いつも暖かく支えてくれる家族に恵まれました。
そして今、
かわいい2人の子供達にも恵まれました。





10年が経過した今の僕達は、
10年前に、全く想像すら出来なかったほど、
最強に幸せです。





まだまだ、僕達にはたくさんの目標があります。
満足なんて出来るようなレベルではありません。
まだまだ目指す高いゴールがあります。

しいて言うなら、
【いい意味で予想を超えた、途中経過】
だと思います。

まだまだ若い僕達にとって、
遥かなる航海は続きます。





今、たった一つの通過点を過ぎたにすぎない。






僕達は皆、
大海原に漕ぎ出した手漕ぎボート。
穏やかな日もあれば、嵐の日もある。





僕達は、真っ暗闇の海に漕ぎ出しました。
地平の彼方に浮かぶまん丸の月を目指して、
ゼロからの出航でした。





ゼロからスタートした僕達の船は、
多くの船と出会い、





時にすれ違い、





助けられ、






励まされ、





共に泣き、






共に笑い、






また顔を上げて、






真ん丸い月を目指して漕ぎ続けてきました。






そしてこれからも、
月を目指して、
新たなるゼロスタート。
笑顔を忘れずに漕ぎ続けます。






弊社をお選びくださった多くのお客様、
多くを教えてくださった学校関係者、留学や旅行関係者の皆さん、
いつも優しく見守ってくれた友人達、
いつも心の支えでいてくれた家族、
そして
人生を賭けて支えてくれた妻と子供達。






心から







ありがとうございます。
そして
まだまだ若輩者ですが、
これからもどうぞよろしくお願い致します。
posted by Junji at 10:08| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 学んだこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

14年ぶりの再会

14年


当り前なんですが、


14年間とは、


0歳の子が14歳(中学3年)まで育つ歳月。


当時22歳だった僕が、36歳になってしまうほどの歳月。


えらい長い歳月です。




ヒョウちゃん
と、昨日、14年ぶりの再会を果たしました。


ヒョウちゃんは
正直、32歳となった今も、
14年前とほぼ変わらない感じ。


しいて言うなら、当時と比べて
【ほっそりして、キレイになってた】
【ちょっぴり大人の女性な雰囲気】
がしたのですが、
当時のヒョウちゃんが頭の中で【ぶわーー】っと浮かんできました。




僕がカナダ留学から帰国し(15年前)、
オーストラリアへ自転車の旅に出かける(13年前)間の
京都の老舗旅館でのバイトで知り合いました。


彼女が18〜19歳。
僕が22歳。


一緒に働いていた期間を振り返ってみると、
僕が旅館で働いていたのは約4ヶ月弱。
長い人生の中で、
本当に短〜〜〜い期間、すれ違っただけでした。



そんな僕達の14年ぶりの再会のためには、
絶対に欠かすことのできないマイちゃんの存在があります。


マイちゃんは、
僕が経営するピュアカナダ留学センターで販売した
ヨガ留学
もう少し細かく言うと
全米ヨガアライアンス認定資格取得コース
に参加してくれたお客様でした。


ヒョウちゃんと、
マイちゃんは、
中学で出会い、高校で親友になった女の子同士。


そんな2人がある日、お茶をしていて、
マイ 【私、今度、ヨガ留学するんよ】
ヒョウ【へ〜、どこ行くの?】
マイ 【カナダに行くんよ】
ヒョウ【へー、どこの留学機関を利用していくの?】
マイ 【すごくアットホームな感じで、フレンドリーで、たまに子供を抱っこしてお茶出してくれたりするんよ〜】
ヒョウ【えっ、ひょっとして・・・その人の名前は??】
マイ 【えっ、小谷さんって言う人だよ】
ヒョウ【えーーーーーーーー、私、知ってるかも!!】


女の子2人の何気ない会話から、
こうしてマイちゃんを通して、
ヒョウちゃんは14年ぶりに、僕の存在に気づいてくれたそうです。


でも不思議な点が!!!


僕がヒョウちゃんと仕事をしていたのは22歳の頃。
僕がピュアカナダ留学センターをオープンしたのは26歳。
僕がヒョウちゃんに最後に会ったのは、当然22歳の頃。


つまり、僕が留学センターを運営している事を、ヒョウちゃんは知るはずもなかったのです…


その謎も、昨日、解けました。



小谷 【なんで、その会話で俺って分かったの?】
ヒョウ【なんか、神が降りてきた感じで!!】
小谷 【ぎゃははっ!】
ヒョウ【ははは、当時、小谷さんの友達のカナダ人、京都に来てはったじゃないですか】
小谷 【うん、ビルのことやね!来てた来てた!】
ヒョウ【小谷さん、あの時、カナダ留学を目指す留学生を支援する会社を、ビルさんと一緒にやるって言ってたのを、急に思い出したんです!】
小谷 【ま、まじ〜】


絶句でした。
よくこれほどの細い糸が、切れずに一本に繋がったな〜
感動の嵐でした。


マイちゃんが、ヨガ留学の話をしてなかったら・・・
2人のどちらかが関西に出てきてなかったら・・・
ヒョウちゃんが、14年前のあの会話を忘れてたら・・・


パズルのどのピースが一つが抜けていても、
おそらくこの再会はなかったはずです。
でもそのパズルが、最後のピースまできっちり埋まり、
そして
こうして自分の身に奇跡の再会が降り注いだ事に
心から感謝です。


再会のきっかけをくれたマイちゃんに感謝。
14年前の話を覚えてくれていたヒョウちゃんに感謝。



出会いって不思議です。
出会いって宝です。
出会いって感動です。


マイちゃん、ヒョウちゃん、
ありがと〜〜、
そしてこれからもよろしくね♪


posted by Junji at 11:15| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 学んだこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

ジョージさん

今年2009年は、僕が経営する会社【ピュアカナダ留学センター】の10年目になる年です。


1999年9月9日9時9分9秒


これ、嘘のような本当の【会社をスタートした時間】です。



10年という時間を振り返ってみると


確かに大変だった事も思い浮かびます。少し・・・



苦い思い出も出てきます。少し・・・





でも、そんな事より100倍も1000倍もたくさんの出会いに恵まれたことで頭がいっぱいになります。





そんなたくさんの出会いの中でも、決して忘れられないのが


ジョージさん


との出会い。





ジョージさんって誰やねん??


当然、この文章を読んでいる全員が思う事だと思います。




僕は、26歳で自分の会社を作る前、1年間だけドッグフードの会社でサラリーマンをしていました。


その時期に別のペットフード関連会社で働いていた4〜5歳のがジョージさん。何度か仕事先で顔を合わせるだけの、【他社の人】でした。




ジョージさんはとても気さくな人で、社会人1年目の僕にとても優しく、いろいろな事を教えてくれました。




ドッグフードの営業をしていた頃、僕は24歳。


右も左も分からない当時の僕にとって、辛い日々だと感じていました。(今思えば、僕がただ甘ちゃんだっただけですが)


でもそんな中で、ジョージさんという先輩と知り合えたことは、あれから10年以上が経過した今思っても、【とても大切な財産】です。





僕は会社に

【自分で会社を作りたいから辞める】

と辞表を出しました。当時の部長達は、

【お前、逃げてるんちゃうか?】

と言われました。

ドッグフードの営業として、成績が【社内で最下位】に限りなく近い劣等社員だった僕の姿は、上司から見ると、


ただ会社から逃げ出したいだけの若僧


に映っていたことでしょう。





そんな当時の僕を応援してくれた数少ない一人が、ジョージさんでした。





1999年9月9日9時9分9秒の創業。


そこから、僕達は【超貧乏生活】がスタートしました。

当時、1日夫婦500円で、テレビもない環境で生活していました。

それでも、自分が感じた

【カナダ留学って、人生を変えられるきっかけになれる】

【視野が広がるって、人生が広がる】

【自分の可能性を狭めているのは、自分自身】


そういう殻を破るチャンスを提供したい。

【カナダ留学】という形のないものを通して、若い人達に大きなチャンスを提供したい。

熱い想いだけでした。





駅でビラを配り、


1日中歩き回り、


またどこかの大学の近くでビラを配り、


でも先の見えないトンネルに迷い込んだような、そんな毎日でした。






僕は、ビラを配りに行った先の公衆電話から、事務所に電話で連絡を入れます。


ドンドン公衆電話が減っていってしまい、公衆電話を探すのに苦労しました。


それでも【収入がゼロ】だから、やっぱり公衆電話が唯一の手段でした。






僕達の姿を見て

【じゅんじ、お前、ケータイくらい持たんと、仕事にならんやろ】

とジョージさん。

【いや〜、今は持てないっす。カツカツなんっすよ】

と僕。

【お前、どうやって仕事してんねん】

とジョージさん。

【公衆電話、探して歩いてます・・・アハハ】

と僕。

【なら、俺が借りたるわ。】


【なら、俺が借りたるわ。】

【なら、俺が借りたるわ。】

【なら、俺が借りたるわ。】

【なら、俺が借りたるわ。】




【ナラ、オレガカリタルワ・・・・・・・・・・】





【えっ・・・】




固まる僕に、ジョージさんは続けました。


【俺が払ったるから、それ使ったらええやん】

【絶対、ケータイはいるで】

【払えるようになったら、払ったらええやん】






【えっ・・・】





耳を疑いました。

申し訳なさ過ぎて、何度か断りました。

でもジョージさんは、

【ええねん】

の一言で、僕達に救いの手を差し伸べてくれました。







約2年間、僕はジョージさんに甘えたまま、
結果の出せない日々を悪戦苦闘しました。
2年目のある日、
【ジョージさん、ほんま、ありがとうございます。払える目処が付きそうです】
ジョージさんは喜んでくれました。






たくさん話す人じゃない。

何か笑わせるような感じの人じゃない。

でも情熱が内側からグツグツと煮えたぎってるような、そんなジョージさん。

当時、僕が26歳だったから、ジョージさんは31〜32歳の頃です。

37歳になる今の僕、まだ当時のジョージさんの足もとにも及びません。





あの時のジョージさんの優しさがなければ、

情熱を持って【カナダ留学の素晴らしさ】を伝えてきたこの10年はなかったかもしれません。




ジョージさんと出会えてなかったら、

【ジョージさんに教えてもらったたくさんのこと】
を知らないまま、37歳を迎えていた事になります。





僕は、この10年間でたくさんの素晴らしい出会いに恵まれてきました。
たくさんの出会いは、ジョージさんの優しさがあったからこそ、10年続いてきたものだと、このブログを書きながら、改めて感じました。





ジョージさん、ありがとう。






追伸・・・
先日、超久しぶりにジョージさんに会いました。
ジョージさんは、奥さんと、初めて【カナダ・バンクーバー】に行ってきたそうです。

【いや〜、じゅんじ、バンクーバー、よかったで!!はまるわ!】

僕が人生の転機を迎えたカナダ・バンクーバーという街。

10年が経過した今年、

ジョージさんと奥さんがバンクーバーを訪れ、

気に入ってくれて、

なんか、涙出そうでした。
posted by Junji at 22:25| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 学んだこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

最後まで・・・

僕は朝5時半に車に乗り込んだ。

大阪は曇り。
予報では大雨になっていたけれど、
自称”晴れ男”の僕は、
【よし、雨は降らんな!】と確信し、
意気揚々と奥琵琶湖へ出発。


京都を越える頃にはフロントガラスに水滴が落ちてきて、
知らぬ間にザーザー降り・・・
この日は天気予報に軍配でした・・・


さて奥琵琶湖まで2時間半のドライブの目的は、
15キロマラソンへの出場でした。


高校生の頃、マラソン大会を走って以来、
20年以上も長距離走をしていない。
しかも仕事の合間をぬって練習したのは3キロ走。(1度だけ5キロに挑戦しましたが、歩いてしまった・・・)


一緒に走る仲間は、僕を入れて8名。
仕事を一緒にさせていただいている”とある大学関係者”から誘っていただき、大学関係者4名、そのお友達3名、そして僕。
41歳の大学課長と僕を除き全員が若い女性。
5名は初対面だったので、それぞれと簡単な挨拶。
【かっちょわりーところは見せられない・・・】
と内心で決意。。。。



この大会は、【1.5キロ】、【5キロ】、そして【15キロ】の3つの選択肢があり、
僕達は全員15キロに挑戦することになっていました。

僕、マラソン大会をなめてました・・・

僕が高速のインターを降りたとき、車が全然いなくて・・・【マラソン大会、ひょっとして10人くらいだったりして!!笑】なんて思ってました。
大会の行われた西浅井町(にしあざいと読みます)に、なんと15キロ挑戦の人だけで1500人を越えるエントリー。もう人人人・・・
この日が【西浅井町の人口が最も増える日】なんじゃないかと思えるほど、人がどこからともなく集まってきました。



あいにく、雨はやむどころか激しさを増し、スタートが予定より遅れるハプニングもありましたが、さあ、満を持してスタートラインに整列。
一般道を【車の通行禁止】にし、僕達の専用道路が目の前に広がっています。
よーーーーーーい、スタート!!!



1500人以上の人達が、前のほうから順番に走り出しました。



さて僕がこの件をブログに書こうと思ったのは、
僕の走りについてなんぞではありません。。。
結論から言いますと、僕の走りはへちょへちょ・・・
若くて体が重そうな若い姉ちゃんに抜かれ、
ゼーゼー息があらいじいちゃんに抜かれ、
見るからに勝てそうな60代前後らしきおばちゃんに抜かれ、
5キロを過ぎた頃からは【太もも】が異常な重さにに代わり、
何度も何度も心が折れそうになりました。
それでも
ルートの途中、大雨の中
【がんばってくださーーい】と笑顔で声をかけてくれる中学生や高校生の女の子の声援。
そして沿道に出て声をかけてくれる地元の人の声。
本当、背中を押してくれました。
この声援もあり、何とかギリギリ完走致しました。


41歳課長はバリバリのスポーツマンで、軽々と走りぬけ、200位台。
僕は8人の中では次点の600位台(情けない・・・)
そして次々と仲間達がゴールし、完走を喜びあいました。
大雨の中、
【自分の足じゃないみたいやな〜】
【乳酸がたまってんねん】
【ぎゃはは〜】
自分との戦い、今の自分での限界に近い走りを、お互いがたたえあいました。



この大会、15キロは、1時間50分以内にゴールできなければ、最後尾の車に乗って、戻ってくることになっていました。
8人中、7人がなんとかゴールする中、一番背の小さい”山ちゃん”の姿が見えません。
彼女、痛めた膝を抱えながらの出走でした。
1時間50分を越え、やはり遠く見渡せるコースには、残念ながら山ちゃんの姿は見えません。
親友の”あだっちゃん”はすごく心配そう。


そうこうしているうちに、時間内で走りきれなかった人達を乗せた車が到着・・・・
【山ちゃん、残念、お疲れ、よく頑張った】
そんな気持ちを持ちながら、到着した車の中の一人ひとりの顔を確認するあだっちゃん。
【あれ・・・いない・・・】
山ちゃんがいません・・・


あだっちゃんは、すっごく不安そうな表情となり、雨の中、山ちゃんを探し続けました。
が、山ちゃんの姿はどこにもありませんでした。


どのくらい時間が経過したでしょう。
あだっちゃん、41歳課長、そして僕の3人が、
山ちゃんを探し、あちこちに目をこらしていました。
既に1時間50分を越え、通行止めとなっていた一般道を、
ゆ〜〜〜〜〜〜っくり進む黄色い車が一台、すっごく遠くに見えたのを、あだっちゃんは見逃しませんでした。
【あ、山ちゃんやっ】
ゆ〜〜〜〜〜〜っくり進む車の前で、山ちゃんは、なんと完走を目指し、足を引きずり、まだ挑戦していました。
豆粒ほどの大きさにしか見えない遠くで、
フラフラしている山ちゃんの姿を見て、
自然と3人の足は山ちゃんの方に駆け出していました。
いや・・・・
正確には、41歳課長はダッシュ。
あだっちゃんは小走り。
僕は走ることができず、歩き。。。(情けない・・・)


大雨ではっきり分からないけど、最後にたどり着いた僕の目には、山ちゃんは泣いているように見えました。
41歳課長は彼女の頑張りを励まし、
あだっちゃんは山ちゃんの体を心配し、
僕は黙って見守りました。


4人と、黄色い車は、ゆっくりゆっくりと、でも確実にゴールに近づきました。
1時間50分を越え、1500名を越える参加者の最後のゴールを山ちゃんが切りました。
なんと、ゴール付近にいた参加者、ボランティアの人達、大会関係者の全員からの、拍手の雨が降り注ぎ、山ちゃん、無事完走!!
山ちゃんは【はずかしーー】と言いました。


その後の41歳課長の言葉が、的を射ていました。
ええもん、もろたなっ!


本当、ええもんをもらった気持ちでいっぱいでした。
山ちゃんの【最後まで諦めない気持ち】は、やっぱりジーーンと来ました。
そして1時間50分を越えても、【走りたい、最後まで自分の足で】という山ちゃんの気持ちを汲んでくれた黄色い車のドライバーさんや西浅井町の皆さんの気持ちにもジーーン。
親友を最後まで気遣ったあだっちゃんと、一番に駆け寄って励ました課長の姿にもジーーン。


形はないけれど、ええもんを分けてもらいました。



僕はと言うと・・・・
このマラソン大会をきっかけに、
41歳課長という超巨大な目標を見つけ、
5人の新しい素敵な出会いをいただき、
自分の現時点での限界への挑戦ができ、
同時に自分のふがいなさを知り、
感動と発見の多い時間となりました。


誘っていただいて、心から感謝です。
やっぱり、”人”やな〜〜

(写真は1枚もありません。。。。情けない・・・笑)
posted by Junji at 10:01| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 学んだこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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