2009年05月24日

最後まで・・・

僕は朝5時半に車に乗り込んだ。

大阪は曇り。
予報では大雨になっていたけれど、
自称”晴れ男”の僕は、
【よし、雨は降らんな!】と確信し、
意気揚々と奥琵琶湖へ出発。


京都を越える頃にはフロントガラスに水滴が落ちてきて、
知らぬ間にザーザー降り・・・
この日は天気予報に軍配でした・・・


さて奥琵琶湖まで2時間半のドライブの目的は、
15キロマラソンへの出場でした。


高校生の頃、マラソン大会を走って以来、
20年以上も長距離走をしていない。
しかも仕事の合間をぬって練習したのは3キロ走。(1度だけ5キロに挑戦しましたが、歩いてしまった・・・)


一緒に走る仲間は、僕を入れて8名。
仕事を一緒にさせていただいている”とある大学関係者”から誘っていただき、大学関係者4名、そのお友達3名、そして僕。
41歳の大学課長と僕を除き全員が若い女性。
5名は初対面だったので、それぞれと簡単な挨拶。
【かっちょわりーところは見せられない・・・】
と内心で決意。。。。



この大会は、【1.5キロ】、【5キロ】、そして【15キロ】の3つの選択肢があり、
僕達は全員15キロに挑戦することになっていました。

僕、マラソン大会をなめてました・・・

僕が高速のインターを降りたとき、車が全然いなくて・・・【マラソン大会、ひょっとして10人くらいだったりして!!笑】なんて思ってました。
大会の行われた西浅井町(にしあざいと読みます)に、なんと15キロ挑戦の人だけで1500人を越えるエントリー。もう人人人・・・
この日が【西浅井町の人口が最も増える日】なんじゃないかと思えるほど、人がどこからともなく集まってきました。



あいにく、雨はやむどころか激しさを増し、スタートが予定より遅れるハプニングもありましたが、さあ、満を持してスタートラインに整列。
一般道を【車の通行禁止】にし、僕達の専用道路が目の前に広がっています。
よーーーーーーい、スタート!!!



1500人以上の人達が、前のほうから順番に走り出しました。



さて僕がこの件をブログに書こうと思ったのは、
僕の走りについてなんぞではありません。。。
結論から言いますと、僕の走りはへちょへちょ・・・
若くて体が重そうな若い姉ちゃんに抜かれ、
ゼーゼー息があらいじいちゃんに抜かれ、
見るからに勝てそうな60代前後らしきおばちゃんに抜かれ、
5キロを過ぎた頃からは【太もも】が異常な重さにに代わり、
何度も何度も心が折れそうになりました。
それでも
ルートの途中、大雨の中
【がんばってくださーーい】と笑顔で声をかけてくれる中学生や高校生の女の子の声援。
そして沿道に出て声をかけてくれる地元の人の声。
本当、背中を押してくれました。
この声援もあり、何とかギリギリ完走致しました。


41歳課長はバリバリのスポーツマンで、軽々と走りぬけ、200位台。
僕は8人の中では次点の600位台(情けない・・・)
そして次々と仲間達がゴールし、完走を喜びあいました。
大雨の中、
【自分の足じゃないみたいやな〜】
【乳酸がたまってんねん】
【ぎゃはは〜】
自分との戦い、今の自分での限界に近い走りを、お互いがたたえあいました。



この大会、15キロは、1時間50分以内にゴールできなければ、最後尾の車に乗って、戻ってくることになっていました。
8人中、7人がなんとかゴールする中、一番背の小さい”山ちゃん”の姿が見えません。
彼女、痛めた膝を抱えながらの出走でした。
1時間50分を越え、やはり遠く見渡せるコースには、残念ながら山ちゃんの姿は見えません。
親友の”あだっちゃん”はすごく心配そう。


そうこうしているうちに、時間内で走りきれなかった人達を乗せた車が到着・・・・
【山ちゃん、残念、お疲れ、よく頑張った】
そんな気持ちを持ちながら、到着した車の中の一人ひとりの顔を確認するあだっちゃん。
【あれ・・・いない・・・】
山ちゃんがいません・・・


あだっちゃんは、すっごく不安そうな表情となり、雨の中、山ちゃんを探し続けました。
が、山ちゃんの姿はどこにもありませんでした。


どのくらい時間が経過したでしょう。
あだっちゃん、41歳課長、そして僕の3人が、
山ちゃんを探し、あちこちに目をこらしていました。
既に1時間50分を越え、通行止めとなっていた一般道を、
ゆ〜〜〜〜〜〜っくり進む黄色い車が一台、すっごく遠くに見えたのを、あだっちゃんは見逃しませんでした。
【あ、山ちゃんやっ】
ゆ〜〜〜〜〜〜っくり進む車の前で、山ちゃんは、なんと完走を目指し、足を引きずり、まだ挑戦していました。
豆粒ほどの大きさにしか見えない遠くで、
フラフラしている山ちゃんの姿を見て、
自然と3人の足は山ちゃんの方に駆け出していました。
いや・・・・
正確には、41歳課長はダッシュ。
あだっちゃんは小走り。
僕は走ることができず、歩き。。。(情けない・・・)


大雨ではっきり分からないけど、最後にたどり着いた僕の目には、山ちゃんは泣いているように見えました。
41歳課長は彼女の頑張りを励まし、
あだっちゃんは山ちゃんの体を心配し、
僕は黙って見守りました。


4人と、黄色い車は、ゆっくりゆっくりと、でも確実にゴールに近づきました。
1時間50分を越え、1500名を越える参加者の最後のゴールを山ちゃんが切りました。
なんと、ゴール付近にいた参加者、ボランティアの人達、大会関係者の全員からの、拍手の雨が降り注ぎ、山ちゃん、無事完走!!
山ちゃんは【はずかしーー】と言いました。


その後の41歳課長の言葉が、的を射ていました。
ええもん、もろたなっ!


本当、ええもんをもらった気持ちでいっぱいでした。
山ちゃんの【最後まで諦めない気持ち】は、やっぱりジーーンと来ました。
そして1時間50分を越えても、【走りたい、最後まで自分の足で】という山ちゃんの気持ちを汲んでくれた黄色い車のドライバーさんや西浅井町の皆さんの気持ちにもジーーン。
親友を最後まで気遣ったあだっちゃんと、一番に駆け寄って励ました課長の姿にもジーーン。


形はないけれど、ええもんを分けてもらいました。



僕はと言うと・・・・
このマラソン大会をきっかけに、
41歳課長という超巨大な目標を見つけ、
5人の新しい素敵な出会いをいただき、
自分の現時点での限界への挑戦ができ、
同時に自分のふがいなさを知り、
感動と発見の多い時間となりました。


誘っていただいて、心から感謝です。
やっぱり、”人”やな〜〜

(写真は1枚もありません。。。。情けない・・・笑)
posted by Junji at 10:01| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 学んだこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月22日

【ユウキ】が【ユウキ】に【ユウキ】を与えている話


夜9時前、会社のTELが【プルルルル】
番号からは、相手が誰か分からないけど、いつものように妻が受話器を取り、「もしもし・・・」と話す声が聞えました。

30秒ほど経過しました。

妻は、息を弾ませながら僕に駆け寄り、【ユウキ君のドラマを観て、病気と闘っているっていう男の子から電話】と、受話器を差し出しました。


「もしもし」


いざ話し始めてみると、電話の主が誰なのか、次第に分かってきました。
正真正銘、初めて話す人でしたが、つまり、彼がどういう存在の人なのかが徐々に分かりました。


電話の主は千葉在住の14歳の男の子。
熱心で、少し緊張していて、何かを伝えたいという気持ちが伝わってきました。


ドラマや本で描かれた主人公・三田雄基(ユウキ)は、僕の弟のような存在。その雄基は2001年12月3日、難病と闘い、他界しました。


all-yuki-book-small.jpg【ドラマや本】
世界で過去にたった7例しか報告されていない難病と真正面から闘い続けた雄基の姿が、岸川悦子さんという絵本作家さんの目に留まり、描かれた実話です。
その作品が、日本テレビの目に留まり、描かれたのが24時間テレビ内のスペシャルドラマとして、4年前に放映された【ユウキ】でした。



電話の主の声は少し緊張気味で【自分が何者なのか】を、僕に伝えるのに必死でした。
電話の主は、僕に次のように話してくれました。
【僕は雄基さんと同じように病気を持っていて、でも負けたくないんです。】
【小学校のときに発症して、両親がすっごく悲しんで・・・】
【すぐに死ぬんじゃないかと思って、僕、怖くて・・・】
【雄基さんのドラマを観て、僕も闘おうって決めました】
【雄基さんは、どんな風に病気と闘っていたんですか?】



電話の主は、たくさんのことを話してくれました。
僕も聞かれたことに素直に答えました。
雄基が当時置かれた環境や、どのような言葉を発していたのか。
雄基がどのように病気に立ち向かっていたのか。


僕は電話の主に言いました。
【あなたが、見ず知らずの僕に電話をすることは、とても勇気が必要だったでしょう。電話をくれてありがとう】
すると電話の主は言いました。
【様々なホームページを見て、じゅんじさんのページを見つけました。雄基さんの生き方について聞きたくて、無我夢中でした。雄基さん、すごいと思うんです。僕も病気になんて負けません。】


それはほんの少しの時間だけの電話線を通しての会話でした。
僕は背中にゾクゾクして、とても優しくて、それでいて暖かいものを感じました。
既に亡くなってしまった友人が、遠く離れた千葉の少年を勇気付け、前進する力を与えていることを感じました。


【ユウキ】という本が世に出る前、雄基のご家族と少し話しました。
大切な人の死を世間一般の人に伝えるのは辛い。
でも次代の子供達に、少しでも【命の大切さを分かってもらえるなら】と言って、ご家族は本の出版に協力されました。


受話器の向こうには、そのドラマを通して、自分の病気と闘うことを誓った青年が確かに存在しています。4年を経て、こうして一人の少年の力になっていることに、偶然ではない何かを感じた気がしました。


僕は電話の主と、電話を切る前に尋ねました。
【あなたの名前をぜひ聞かせて下さい。書き留めておきたいので】
電話の主は答えました。
【僕の名前は、ユウキです】
【祐樹と書きます】


亡くなって8年が経過した今でも、確かに僕達の大切な友人は、大きな役割を果たしていました。
ユウキ(雄基)は、ユウキ(祐樹)に、ユウキ(勇気)を与えていました。



涙が出そうでした。



今、僕達は、健康に日々を過ごせることを、まるで当り前のように感じてしまっているように思います。
ご飯を食べれること。
友達や家族と時間を過ごせること。
夢に向かって努力できること。
笑えること。
悩めること。
空気が吸えること。
僕達が日々感じていることは、とても幸せなことなんだな〜。

日々の暮らしにありがとう。
周りの仲間にありがとう。
そして
家族にありがとう。


大切なものを思いださせてもらった電話でした。
posted by Junji at 22:50| 大阪 ☔| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

はじめまして・・・

このブログスペースを作ったのは約2年前。
自分で作れないから、僕のパートナーであるカナダ在住のTomomiに開設してもらったこのブログスペース。

2年間、1度も記載することが無かったこのブログ・・・
お客様から「小谷さん、書かないんっすか?」と言われ続けたこのブログ・・・
友達から「やめちまえ」と言われたこのブログ・・・
いつも心のどこかにあったけど、無視してたこのブログ・・・
書きたいことが山ほどあるのに、怠けてたこのブログ・・・


とうとう重い腰を「うりゃーー」と持ち上げ、今後、できる限り書いていきたい、そして僕という未熟人間が、感じたこと、日々学んだこと、心が震えたことを共有していきたいと思います。


このブログ内では、自分自身のことは、「僕」と書かせていただきます。「私」っていうタイプの人間でもないし、「俺」では読者の耳心地が悪いと思うので。


本日、本格的に【ゼロスタート】ブログを開店致します(宣言!!)
posted by Junji at 17:20| 大阪 ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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